大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成9年(オ)1191号 判決 1998年12月18日

大阪府河内長野市日東町一六番一九号

上告人

後藤澄子

右訴訟代理人弁護士

大江洋一

大阪府吹田市高野台二丁目九番二〇号

被上告人

井上英一

右訴訟代理人弁護士

宮﨑乾朗

大石和夫

玉井健一郎

板味秀明

辰田昌弘

関聖

田中英行

塩田慶

松並良

河野誠司

水越尚子

下河邊由香

右当事者間の大阪高等裁判所平成七年(ネ)第二六四二号名称使用禁止請求事件について、同裁判所が平成九年三月二吾に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

"

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人大江洋一の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 福田博 裁判官 河合伸一 裁判官 北川弘治)

(平成九年(オ)第一一九一号 上告人 後藤澄子)

上告代理人大江洋一の上告理由

原判決は不正競争防止法の解釈適用を根本的に誤っており、その結果判決の結論を逆転させたもので、すみやかに破棄されるべきものである。

一、本件は、人間国宝である故尾上梅幸氏が、日本舞踊の場において『音羽』の名を用いることができるのか、それとも、被上告人が不正競争防止法にもとづいてそれを差し止められるのか、という問題である。

原判決は、本件について、単に上告人と被上告人の間の関係としか見ず、しかも、おそらくは、上告人が被上告人一門から離脱したという経過だけをことさら過大に見たものと思われるが、少なくとも、上告人が尾上梅幸氏から音羽を名乗る許可を受けたときからは、尾上梅幸氏と被上告人との関係に転化し、発展しているのである。

尾上梅幸氏にとっては、音羽の名跡は正に自らの屋号であり、自己名称そのものであるのみならず、被上告人よりも遙に以前から使用してきたものである。

のみならず、被上告人がそもそも音羽の名跡を名乗ることができるのは、音羽屋・尾上梅幸氏の先代の音羽屋・六代目菊五郎師の使用許諾によっているものであり、被上告人がそれを離れて、独自に音羽の名跡を名乗れたのではない。

そもそも、初代音羽菊造が六代目菊五郎師匠の許しがないまま音羽を名乗っていたら、それこそ名称の潜称として使用の差止めを求められても文句は言えないところである。

このような関係にあるときに、尾上梅幸氏において、日本舞踊の分野での活動をする際に、音羽の名跡を名乗ることは、自己名称の善意使用(不正競争防止法第二条第一項第三号)に該当することは当然である。

また、それは名称の先使用(同法同条同項第四号)にも該当することは明らかである。

したがって、その尾上梅幸氏の使用許諾により音羽の名跡を承継した上告人において、混同を避けるための「清派」を付して音羽の名跡を名乗ることは当然に許されるものである。

二、しかも、原判決は、上告人のこのような関係は、違法性阻却のレベルの問題であるように位置づけているが、問題は、そもそも不正競争関係に立たないという、言わば構成要件該当性の問題である。

本訴の特徴としては、そもそも同法第一条第一項第二号の構成要件要素である「他人」性を欠いており、「違法性阻却」を言う以前に、構成要件該当性を始めから欠いていると言うべき事案である。

というのは、不正競争防止法第二条第一項第三号も同第四号も、差止請求者と被請求者との関係が無関係の場合に適用されるものであるが(控訴人が原審の準備書面において、「音羽山や音羽の滝から名称を取ったもの」を引用しているのもその趣旨であろう)、本件においては、請求者である被上告人は、被請求者である上告人の前主との関係では自らも名称使用を許されたという関係にあるもので、そもそも被上告人の「音羽」の名称と上告人の「音羽」の名称とは、ともに同じ出自を有するもので、例えて言えば、兄と弟の間で親に由来する同じ姓を名乗っているのと同じである。

したがって、上告人が「音羽」を名乗ったからといっても、不正競争防止法第一条第一項第二号の「他人の氏名」というのにはそもそもあたらないというべきである。

この位置づけの問題は、三号、四号を判断するにあたっても、違法性を推定したうえで阻却事由を判断するのか、そもそも白紙の状態で三号、四号を判断するのかということにも連なるもので、その点においても、結論には重大な影響を及ぼすものである。

三、原判決は、日本舞踊の分野においては、被上告人が営々と自らの努力で「音羽流」の名を築いてきたから、独自の権利が生まれているかのように言うが、被上告人の襲名の際やその他の機会に、現に音羽屋・尾上梅幸氏の名跡を利用しているのである。一審で証言した被上告人の弟子自身が、歌舞伎の音羽屋との繋がりが自らのアイデンテイテイを高めていることを明言しているのである。(音羽流の弟子である証人津田は「音羽屋の音羽を継がれたんやから、いいやろなと思って、憧れて入門させて頂きました。」と歌舞伎の音羽屋の後ろ楯に期待した旨証言している)。

音羽流は、初代・二代目はもちろん、三代目の被上告人に至っても、独自の努力で営々と築いてきたと言うようなものではなく、不正競争防止法の根本的な法益である、フリーライドを許さないという点から言えば、被上告人こそが、名門音羽屋に「ただ乗り」しているのである。

また、日本舞踊はまさに歌舞伎から生まれ、現在でも日本舞踊のレパートリーのほとんどは歌舞伎舞踊にほかならない(乙第一九号証38頁)。

日本舞踊と歌舞伎をことさら分断しようとする原判決の論理はまったくの謬論である。

音羽流や西川流、尾上流のみならず、歌舞伎役者に源をもつ流派は少なくないが、それ以外でも、歌舞伎の振付師から出ている藤間流のような存在も大きな流れをなしており、日本舞踊家が歌舞伎の舞台の振り付けを行うことも決して珍しいことではない。互いに相互浸透しているといえるほど、密接な交流がなされている。

とくに、江戸舞踊は歌舞伎舞踊そのものと指摘されている(乙第一九号証)が、音羽屋は江戸歌舞伎の名流であり、そこから出た音羽流舞踊が歌舞伎舞踊であることはいうまでもない。

さらに、歌舞伎役者の屋号は、江戸時代に名字を許されていなかったことから、これにかわって自らを表象するものとして元禄期から用いたもので、「成田屋」といえば市川団十郎を指し、「音羽屋」は六代目菊五郎から七代目尾上梅幸、そして現在は七代目菊五郎をそれぞれ指している(乙第一六号証)。

また、屋号とともに家紋もその家を表象するものとして歴史的に用いられているが、音羽流創流にあたって初代菊臧は六代目菊五郎師から尾上家四ツ輪菊の使用を許して貰っている(乙第一八号証)。

日本舞踊と歌舞伎は前者が後者に包摂されるという関係にあり、被上告人の音羽流こそ、このような名流の流れを巧みに利用していることに疑問の余地はない。

四、そもそも日本舞踊のような伝統芸能に安易に不正競争防止法を適用することに無理があるのである。

歌舞伎舞踊の名手である六代目菊五郎の音羽の踊りを広めるために活動することを目指して、初代に「音羽」の名跡や「四ツ輪菊」の家紋の使用を許したが、それとは別途に、音羽屋の側が他の者に音羽流の名跡使用の許諾をすること(当然に混同回避のための措置を取ることは前提してのことである)は当事者は予想しているのである。師匠が弟子に名を与えるというのはこの世界の常識であり、公知の事実であるといえる。

儀式や免状や対価の交付などがないことは、このような伝統的芸能の世界には珍しいことではない。なんでも金銭関係に繋げようとする被上告人の考え方に原判決も惑わされたが、上告人は、六代目菊五郎の舞踊を初代音羽菊臧が発展させた音羽の踊りの伝統を継承発展させたいという真摯な気持ちだけである。

「音羽」の芸を後世に残すことを願って、上告人の先々代に「音羽」の名跡の使用を許諾してくれた本家本元の音羽屋が、上告人にも「音羽」流の名跡使用を許諾したことは不正競争防止法や商標法が容喙するべき問題ではないのである。

被上告人がそのことに不満があるなら、「音羽」の名を捨てれば済む問題である。自らが虎(音羽屋)の威を借る以上は、混同を避ける措置を求めることはあっても、このこと自体は受忍せざるをえないであろう。

五、さらに、以上の事実関係のなかで被上告人が上告人に対して、ことさらにその名称の使用の差し止めを求めることは、信義に反するものであり、また権利濫用にもあたるともので、許されるべきではないのに、原判決はその判断を根本的に誤っている。

人間国宝の尾上梅幸師が上告人に音羽の名跡の使用許諾をしたのは、音羽屋の家の芸としての六代目菊五郎以来の歌舞伎舞踊を後世に残すことを願ってのことである。

被上告人は、みずからの三代目襲名に音羽屋総帥尾上梅幸師の「お許し」まで戴いておきながら、音羽の芸の発展を図るどころか、音羽屋を無視し、粗略に扱ってきたことから、尾上梅幸師も被上告人のやり方には日頃から心を傷めていたのである。

くりかえすが、乙一八号証が端的に記しているとおり、六代目菊五郎師は、その弟子でありつつ「別個に舞踊師匠として門弟を育成していた」尾上菊臧に対して「舞踊師匠となることを勧め、昭和一二年に音羽流の樹立を許し音羽菊臧の名を許した」のである。すなわち、もともと尾上菊臧として舞踊師匠であったのが、六代目菊五郎師の許諾のもとに改めて音羽菊臧として音羽流を創流することになったのである。

歌舞伎舞踊の偉大な指導者として六代目菊五郎師から音羽の名を使用することを許されたということは大変な名誉であり、初代音羽菊臧は「六代目の教え一筋に生きてきた」ことにより音羽流を築き発展させてきたのである。

この事実は誰もが否定できないものであり、被上告人が提出してきた甲三〇号証や三一号証も認めているところである。しかも、甲三一号証にいたっては、このような関係にあることをとらえて「音羽流の宗家は故六代目菊五郎師である」と、宗家としての音羽屋を認めているのである。これ以上多言を要する必要はないであろう。

しかも、被上告人は自らが三代目を襲名するにあたって、(単なる名前の「由来」というにとどまらず)六代目菊五郎師の死後菊五郎劇団を率いた音羽屋の総帥である七代目尾上梅幸師から「許され」て音羽の名称を名乗ったと自ら語ているのである。また、被上告人の直接の師匠であった西川鯉三郎氏は「尾上宗家尾上梅幸師よりも心よくお許しをいただきましたのでここに新家元を誕生いたさせました」と、明瞭に述べている。

その後、被上告人は宗家を継いでいる尾上梅幸師に対して本来尽くすべき儀礼を次第に尽くさないようになり、ついに現在ではその関係が疎遠となっているとしても、初代が六代目から使用許諾を受けたから音羽を名乗れたという自らの出自を消すことはできないし、被上告人が現在「音羽」流を名乗れるのは、この関係があるからに外ならない。

このことを忘れて、ついに「襲名披露に出演してもらうのは単なる自然の礼儀である」とか「結婚披露宴に招くようなもの」とまで言うのは、いくら裁判に勝ちたいがためとはいえ、言ってはならない言葉ではなかろうか。

「げに音羽屋の家の芸 伝うるすべもなかなかに とどかぬ枝のまねごとも 許しの紋の菊四ツ輪」(乙一八号証)と踊った初代菊臧氏は、被上告人の言動をどう受け止めるであろうか。

いずれにせよ、このような被上告人の請求は権利の濫用であり、また信義にもとるもので、許されないものである。

以上

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